平日の昼間のファーストフードはそこそこに混んでいる。いつもの癖で「どっちが行く?」と聞いてしまったが、彼はいまいち要領を得ない顔をしていた。思い出した。彼はこういうところには不慣れなのだ。そして彼は誰かとのランチも、私と行動することも不慣れなので、私は彼にかなり無理を強いていることになる。
「レジが混んでるから、一人が席を取って、一人が注文をしてくれば良いと思うのね」
「ああ、そういうことですか」
「新妻くん、注文の方法とか分からなさそうだから私が行く」
「じゃあ、お願いします」
新妻くんは首をひょいと下げた。そして流れるように店を見渡す。様になる。新妻くんにファーストフード店は似合うなと思った。
会計の列に並びながら、メニューをぼんやりと眺める。新妻くんが何食べたいか聞くの忘れた。でも多分なんでも食べる。まあどちらにせよ私が誘ったのだから私が適当に奢ろう。
下手にヤマを張っても仕方がないので、とりあえずいろいろ注文する。もし余ったら、彼女へのお土産に持たせよう。きっと新妻くんが女と2人でランチなんてヤキモキしているに違いないから。ファーストフードかよ!心配して損した!と思ってもらえればいい。
賑やかなトレイを手に、店内を見渡した。紫の、丸いうしろあたま。
「お待たせ」
「多くないですか」
「余ったら持って帰ればいいかなって」
「はあ」
「そして彼女と食べればいいかなって」
「さんはこういうの好きなんですか」
「特に好きというほどでもないけど嫌いではないっていうか、ファーストフードってそういうものだし、そこそこ。でも一緒に食べるご飯はおいしいのではないかな」
「勉強になるです」
「あまり私の意見を参考にされても困るけど」
「さんは、」
そこで彼は言葉を止めて、続きを探すように視線をふらつかせた。私はハンバーガーの包み紙をくしゃくしゃと開きながら次の言葉を待つ。
「あまり、何が好きかとかいう話を、しないです」
「じゃあどんな」
「……どんなでしょう。とりとめがないです。僕の漫画の感想はよくくれます。誉め言葉です」
「じゃあ、新妻くんが好きなのではないかな」
「そういうことじゃ」
ないです、と消え入らせて、また彼は言葉を切った。唇がとんがっている。子供みたいだ。心のうちをうまく言い表せなくて、子供はとにかく「おなかいたい」で済ませる。そんなような。
青森では彼は、こんな子供だったのだろうか。紙の上ではあれだけ饒舌なのに、教室ではこうして唇をとがらせて黙っていたのだろうか。
「新妻くん、私の好きな食べ物を知ってる?」
「あなたの、好きな食べ物ですか」
「そう」
助け舟を出してやる。新妻くんは全く揺らがない瞳で即答した。
「知らないです」
「知りたいと思う?」
「たぶん、思わないです」
清々しいほどの無関心であった。私の方は、からの情報の横流しがあるので、ある程度新妻くんのステータスは知っている。面白い人だ。友人を安心して任せるにはちょっと浮世離れしているけれど、応援してやろうと思わないこともない程度には。
「雄二郎さんの好きな食べ物は」
「知らないです」
「気になる?」
「特には」
とうとう彼は、ハンバーガーに手を伸ばした。包み紙をつまんで、先程の動揺は毛ほども見られない。
「でも、の好きな食べ物は気になるんだね」
手が止まった。
「基本的に、新妻くんにとって『好きな食べ物は何か』なんて、興味のない話題でしょう?はそれを知っているんだよ」
「だから、教えてくれないんですか」
「新妻くんが知りたがっているなんて夢にも思っていないだろうね」
「僕は」
食べるつもりで手を出したのだろうに、新妻くんは包み紙をいじくりまわしている。どうでもいいけどそれテリヤキだから垂れるよ。
「さんの好きな食べ物を知りたいんでしょうか」
「どう考えてもそうとしか取れない会話の流れだったね」
「確かにどう考えてもそうとしか取れないですね」
「それほど新妻くんの中ではイレギュラーなんだろうね」
「イレギュラー」
「たぶんそれは伝えないとには伝わらないし、伝わらない以上はこれからもは、自分の情報を新妻くんに開示しようとは思わないと思う。
だって彼女は君が好きだから、君が喜ぶ話題を振りたいはずだ」
「イレギュラーとも違うと思います」
包み紙を失ったレタスが落ちる。新妻くんはそれに視線をぴったり合わせていた。
「イレギュラーは、目立ちます。イレギュラーは違和感で、伏線で、トリックです。でもさんは」
また言葉が切れる。レタスはテリヤキバーガーからの独立を図り続けている。ちょっと嫌な光景だったので私は彼からテリヤキバーガーを取り上げた。
そうすると彼はコップに手を伸ばす。結露した紙コップに指を滑らせる。私と彼はそれをただなんとなく見ていた。
「……溶け込んで、違和感がなくて、夢中でペンを入れて、振り向いたら、いるです」
私はの話を聞いていて、は新妻くんに片想いをしているのだと思っていた。の話の中の新妻くんはいつもシュピ―――ンで、ガガガガガで、など眼中に無い天上人だ。天才だ。
けれどどうだろう。この新妻くんの表情は。天上人など。いなかったのだ。私の目の前にいるのは初めての恋に目蓋を震わせるただの少年だった。
「そばにいるのが当たり前ってこと?」
「齟齬があるです。たぶん、そばとか、どことか、そことか、そういうアレではないです」
「よく分かんない。やおよろずの神的な? 汎神論? 漫画で例えると何? スクリーントーン?」
「……スクリーントーン」
私の言葉をリピートして、新妻くんはコップを持ち上げた。そして突然、ゴ―――という大きな音を立てて新妻くんはジュースを飲み干す。それから彼は、私と向かい合って座ってから初めて、もう一度店内を見渡した。
私たちの席はちょっとした窓際だ。すこし首をめぐらせれば、街行く人々が見える。街路樹が見える。車が見える。ビルが見える。看板が見える。視線を一周させて新妻くんに向き直ると、バチッと音が立ちそうなくらい視線が噛み合った。
「それです。スクリーントーン。さんはスクリーントーンです」
そこでようやく私は、ああそういえばこの人は、こういう目をしていたなと思い出す。それこそ漫画みたいな。一つの世界みたいな。
「新妻くんの世界のスクリーントーン?」
「はい。60番台です。一番よく使うやつです」
新妻くんはコップを机に置く。コン、と小気味良い音に続いて、中で氷がジャラジャラと崩れる音。
「いい例えです。ぴったりきたです。たまにはランチも悪くないということが分かりました」
「納得してくれたなら、まあ、嬉しいよ。とにかく新妻くんは、帰ったらにのことを知りたいと伝えなさい」
「そうします」
やっぱり新妻くんにはファーストフードが似合うなあと思った。連れて来て良かった。ガチャガチャした理路整然。スタイリッシュなポップ。ヘッドフォンには羽根が刺さっていた。
『もしもし、?ハンバーガー食べた?新妻くんに何か言われた?』
『なんなの、すごくたくさんハンバーガーもらった。なんであんなに買ったの』
『諸事情あった。食べた?』
『私がチーズバーガー食べてる間に新妻くんが全部食べた。あの人私へのお土産全部自分で食べた』
爆笑した。