ナーガが「十二人の英雄の子供達」と告げた時、私は、心のどこかで、ああやっぱりな、と思った。
邪竜ギムレーが目覚め、人類が滅びゆく中、一縷の望みに縋って長い旅路を越え、辿り着いた聖地。
覚醒の儀によって目覚めた神竜ナーガは告げた。
ここまでギムレーの勢力に侵されてしまったこの世界を救うことは、ナーガの力を持ってしても不可能だと。
絶望に膝を着きそうになったルキナに、ナーガは1つの提案をした。
この世界はもう救えないが、貴方達を「過去の世界」に送り込むことはできる。ギムレーが目覚める前、先王クロムが殺される前の世界に飛び、クロムの死とギムレーの覚醒を阻止することができれば、あるいは世界を救うことができるかもしれない…と。
それは残酷な提案だった。その過去を救って未来を変えたところで、今いるこの世界が変わるわけではないのだという。だから、厳密にはこの世界を救うことはできない。
この世界を捨てて、新しく「救われた世界」を作るために、過去へ飛ぶ。ナーガの提案は要するにそういうことだ。
悩むルキナ達に、更にナーガはもう1つ条件を出した。
「私の力で過去に送ることができるのは、貴方達十二人の『英雄の子供達』だけ。それ以外の兵は、この世界に残ってもらうことになります」
多分、その場にいた十三人のうち、私が一番最初に、その言葉の意味を理解した。
そう、その場にいたのは十三人だった。そのうち、私以外の子たちは全員、かつての「クロム軍の英雄」を親にもつ子供達だ。
私はたまたま彼等と歳が近かったから意気投合して途中から加わっただけの、「それ以外」に過ぎない。
私に、世界を救う器はないのだ。
少しの間があって、まず、アズールがものすごい勢いでこちらを振り向いた。白い顔をしていた。「嘘でしょ」って顔に書いてあった。そのあまりの狼狽えように、まるで他人事のようにああ可哀想に、と思ってしまう。
ようやく戦いで大切な人を失う痛みに慣れて、麻痺してきていたのにね。こんな形で「友達」を失うのは辛かろう。
「せめて十三人で過去に飛ばしてほしい」と、食い下がってくれたのはセレナだった。ブレディもそれに続く。
ルキナは何も言わなかった。ロランも、ジェロームも、唇を固く結んで俯いていた。分かっているんだ。駄々をこねてどうにかなることじゃないんだって。
世界を救いたいのであれば、道は一つしかない。私一人と、世界とを天秤にかけるわけにはいかないのだ。
そして、「英雄の子」でない私は、この終わりかけの世界に残ることになった。
覚醒したばかりのナーガは、ルキナ達を過去に飛ばすために力を溜める必要があるらしく、儀式は次の晩に行うことになった。私と彼等に、別れを告げるための一日が与えられたみたいだった。
最初に「少しいいですか」と声をかけてきたのはルキナだった。他の皆も、何か言いたげにしていたが口を開かず、重苦しい沈黙が漂っていた。私は頷いて、ルキナとふたりで歩き出す。高地の強い風が、ルキナの長い髪を揺らしていた。ルキナは思い詰めた表情で何かを言おうとしていた。なかなか何も言わないので、私が先に口を開く。
「ルキナ達がいなくなった後のことは私に任せて。なんとかするよ」
私のなんの根拠もない無責任な言葉に、ルキナは少しの沈黙の後に、固い表情で頷いた。
誰にだって分かる。こんな状況もうどうにもならない。ルキナ達の活躍でようやく保っているこの世界から、彼女達がいなくなったらどうなるかなんて子供でも分かる。
もう終わりなんだろうなと思ったけど、あまり実感が湧かなかった。これまでずっと、今日死ぬかもしれない、明日死ぬかもしれないと思いながら戦ってきたせいで、いざその時が来てもよく分からないものなんだなというのが正直な感想だ。
私達の世界は終わるけど、ルキナ達の世界は続いていく。それなら多分、「負け」ではないのだろう。きっと。
「…ごめんなさい、私は…」
「謝らないで」
聖王であるルキナは、この世界の最後の希望でなくてはいけない。そのためには誰を犠牲にしても生き延びなくてはいけない。それはたぶん、すごく辛いことなのだろう。
「ルキナ達が、どこかで生きていてくれるなら、私はそれでいいよ。それは希望だし、希望があれば死ねると思う」
重いものを託していると知りながら、私はそう言って笑った。
私がこうしてルキナ達と友達になるよりずっと前から、ルキナ達は私にとって、みんなにとって希望だった。彼らはとにかくきらきらと輝いていて、そしてものすごく強かった。
こんな軍勢もうどうにもならない、もう終わりだと思った時でも、何度でも戦況をひっくり返してくれた。
やがて生き残りの数自体が減ってきたせいで、彼らと同年代でそこそこ戦える私が彼らの目に留まった。そこからつるむようにはなったけれど、根本的に住む世界が違うのだ。
「……分かりました、。約束します。私達は必ず次の世界を救って、生き延びてみせます。その世界に生まれてくるあなたが、平和に生きられるような世界をつくります」
ルキナはそう言って、強張った頬で精一杯笑って見せた。
使命を背負ったルキナは、やっぱり格好良かった。気高くて優しい、私達の王女だ。
「お前は本当にいいのか」
少し一人になりたいから、と言ってルキナを皆の元に返したのに、わざわざ足を運んでまで問い掛けて来たのはジェロームだった。私は重苦しい空気に少し疲れてしまっていて、しゃがみこんで足元の砂利を弄っていた。私自身の心の準備はもう終わっていたけれど、みんなはそうではないようだったから。仲間を1人見捨てて置いていくための心の準備ができるまでは、そっとしておいた方が良いかと思ったのだけれど。
「よくない、って言われたら困るくせに聞くんだね。律儀だね」
「茶化すな」
「茶化してないよ。本当にそう思ったから。結論はもう出てるのに」
答えると、ジェロームは辛そうに顔を歪めた。いつも思うのだけど、その仮面意味はあるのだろうか。感情を読ませないためとか言っているが、仮面をしていても彼の感情はだいぶ分かりやすい。付き合いが長いから、そう思うのかもしれないけれど。
「お前が、もし本当に『行かないでくれ』と縋ったら、恐らくあいつらは行けないぞ」
「だからだよ。取り残される他の人達には申し訳ないけど、私はみんなにはこんな終わりかけの世界は見限って、生き延びて欲しいんだよ」
「……お前は恐ろしいことを言うな」
「終わるなら早く終わった方がいいよ。逆に、もう頑張らなくていいなら気が楽になったかな。 ……正直、もう疲れちゃったんだよね。明らかに詰んでるのに、『きっと大丈夫』とか『なんとかなる』とか言うの」
自棄混じりにそう言うと、ジェロームは少しの間押し黙った。私はなんとなく、彼の付けた黒い仮面が、暮れかけた夕日に照らされて仄かに光るのを眺めていた。
「……無理を、させたな」
「……お互い様だよ」
むしろ、これからも無理をたくさんする羽目になるのはジェローム達だ。
救えなかった世界の責任と、これから救わなくてはいけない世界の両方を背負わされてしまうのは、可哀想だと思う。
「無理だと思うけど、みんなにはせめて私のこと忘れてほしいなあ。見捨てたとか思って罪悪感を持ってほしくない」
「本当に無理な話だな」
「うん…あのねジェローム、アズールのことお願いしてもいい?一番ショック受けてたから。しんどいよね。戦いで仕方なく、仲間と死に別れる…とかじゃなくて、自分で決断して仲間を見捨てないといけないんだもんね」
「そんな事を私に頼むな」
「頼むよお。私から何言ってもどうしようもないし。最後だから。お願い」
最後、を強調して手を合わせると、ジェロームは苦虫を噛み潰したような顔で、仕方なく頷いてくれた。
優しい人だ。
「それよりもお前、アズールなんかより、もっと心配な奴がいるんじゃないのか」
「うん?」
「シャンブレーは、お前がいなかったらどうするんだ」
どうするんだ、と言われても。
どうもこうもないので、問い掛けられて一瞬ぽかんとしてしまった。
それから少し考えて、答える。
「シャンブレーは、私がいないと駄目なほど弱くないよ」
臆病で泣き虫なシャンブレー。私より大きいくせに、私の背中に隠れて震えていたシャンブレー。誰よりも誰よりも、「生きたい」「死にたくない」と思っているシャンブレー。
いつも一緒にいた。何度も「私が守ってあげるよ」と気休めを言って、何度も「大丈夫だよ」と嘘をついて一緒に戦ってきた。私がいなくなったらきっと不安がるだろう。だけど、本当はあの子はとても強いし、私なんていなくても生きていける。私の存在は、彼にとってはおまもりのようなものなのだ。あれば安心するけれど、具体的に効力があるわけでもないのだ。本当は。
「……お前は」
なぜかジェロームは溜息を吐いた。それから、言葉を選ぶような沈黙が少し降りる。
「お前は、あいつらにとっての自分の価値を過小評価しすぎている」
それから、ジェロームの口から放たれた言葉を、私は一瞬理解できなかった。
「あいつらがお前を置いて行きたくないと言うのは、単にあいつらが善人だから、ではない。お前だからだ」
だってあまりにも、私にとって都合のいい言葉だった。
「お前が、私たちに生きていてほしいと思うように、お前にも生きてほしかったんだ、皆」
ジェロームが、ジェロームらしからぬ言葉をどんどん吐き連ねていく。どうしてだろう。最後だから?
「シャンブレーもだ。確かにお前がいなくてもあいつはうまくやるだろう。それでも、あいつの中で、お前を失った穴がいつか埋まるとは思えない」
────私は、
私と彼らとでは、住む世界が違うと思っていた。救世主、英雄の子供達。彼らの代わりなんてこの世界のどこにもいない。でも、私の代わりはいる。偶然、彼らと一緒に戦うことになったのが私だっただけで、別に私じゃなくたって構わないんだと思っていた。これまで戦いの中で死んでいったたくさんの人たちと同じように、私が死んだら、みんな少しだけ悲しい顔をして、戦い続けるんだと思っていた。
本当はみんな、その心の中に、私だけの特等席を作ってくれていたんだ。
「私とて、……お前には何度も救われた。生き延びろなどと無茶を言うつもりはないが、忘れるつもりもない」
そっぽを向いて、ジェロームはそう結んだ。話は終わったとばかりに、拠点へと戻っていく。その声は微かに震えていたし、耳は赤くなっていた。彼なりに意を決した一言だったのだろう。 あのジェロームに、私はそこまで言わせてしまった。
残された私は、立ち尽くす。
……そんなの。これから死んでいく人間にそんな言葉をくれるなんて、ずるい。
私は、「私なんか死んだっていい」という気持ちで、未練なくみんなを見送れるはずだったのに。
そんなことを、知ってしまったら。
こんな気持ちになってしまって、それで死んでいく私はどうなるんだ。
ああ、でもおあいこだ、私だって「それが私にとっての希望だから生きてくれ」なんて呪いを彼らにかけたから。
わたしだって、本当はもっと貴方達と生きてみたかった。
そんな気持ちには蓋をできていたのに。
少しの間茫然として、でもいつまでも戻らないわけにも行かないので私も拠点に戻ったところ、ブレディがめちゃくちゃに泣いていた。セレナもつられて泣いていたし、さっきまで「私は平気です」みたいな顔をしていたンンまで目を赤くしていた。
ああ私は、この人達が大好きだなあ、と思った。そして、皆も私を好きでいてくれたんだと思った。
私達は仲間だった。
シャンブレーだけは、何も言ってくれなかった。
迷子の子供みたいな顔をして、黙って私を見ていた。
「元気でね」と声をかけたら、空気が抜けるみたいな声で、「うん」と答えた。
そうして夜は更けていった。
『では、始めましょう』
ナーガがそう言うと、ルキナ達は緑色の光に包まれて、足元に魔法陣陣のようなものが浮かび上がる。とうとう行くのだ。過去の世界の未来を変えに。
「……!!」
突然声を上げたのはシャンブレーだった。光の中から、私に向かって叫ぶ。
「どうしよう、俺、がいない世界なんて、想像もできないよ…!!ぜ、絶滅するかも、」
「大丈夫だよ!」
私も叫び返す。これまで何度も何度もシャンブレーに投げかけてきた言葉だ。
「シャンブレーは、大丈夫なんだよ!」
「でも!」
どこからか風が巻き起こり、彼らを中心に渦を巻き始める。嗜めるように、ジェロームがシャンブレーの肩を掴むのが見えた。
「私がいなくても、長生きしてね、シャンブレー…!!」
光が強くなって、目を開けていられなくなる。不意に風の音が止んで、目を開けると、もうそこには誰もいなかった。
「これから死んで行く人に『大丈夫だよ』なんて言わせるの、どうかと思うよシャンブレー」
誰もいなくなった場所に向けて、独白する。
さっき、最後に口から出た言葉は多分、シャンブレーにとっては呪いになる言葉だった。それでも願わずにはいられなくて、口に出してしまった。シャンブレーがあんなタイミングで駄々をこねたりしなければ、言わなくて済んだ言葉だったのに。シャンブレーは最後まで怖がりで泣き虫だった。
そんなシャンブレーが、大好きだった。
「好きだったよ、シャンブレー。友達としてとかじゃなく、ほんとに」
シャンブレーに気持ちを伝えられなかったのは私の弱さだったけれど、今となっては、伝えていなくて良かったと思う。これから先、私のいない世界で、彼らは生きていくんだろう。恋もするだろうし、結婚もするだろう。したらいい。たくさん生きてほしい。この世界に残された私達の分まで。
「さてと」
いつまでも一人でここにいても仕方がない。私にできることはもうあまりないけど、死ぬにしたってやれるだけやってからにしよう。「十二人の英雄の、そのおまけ」だと思っていた私を、「十三人目」だと彼らは言ってくれたので。