雨の日だった。城の屋上で、黒い空から降る雨を受けて、ルージョンちゃんは私を見下ろしていた。
「や、やだ、やだよお、もしルージョンちゃんがどっか行っちゃったら、わたし、ルージョンちゃんになにかあったときになんにもできない、」
いつもなら、「行かないで」と言えば惑って、絆されて、留まってくれるルージョンちゃんが、今日は違った。
私の言葉に惑わずに、微笑みすら浮かべて、こちらをじっと見ている。行ってしまうんだ。行ってしまう気なんだ。いやだ。ルージョンちゃんのローブの裾を掴んだ手をぐっと握って、私は下手くそな言葉を並べ続ける。
「私の知らないところでルージョンちゃんが死んじゃったりしたらいやだよお、こ、この世界のどこにもルージョンちゃんはいないのに、『ルージョンちゃん元気かな』とか思うの、やだ、」
「ユニ」
裾を掴む私の手を、ルージョンちゃんはもう片方の手でそっと包んだ。
諭すような声音は、ティントアによく似ている。こういう時、この双子は本当によく似ている。もうやだこの双子、本当にいやだ。
「初めて誰かに必要としてもらって、嬉しくて、この人のためになんでもしようって思った。そういう気持ち、ユニには分からない?」
わかる。
分かってしまう。分かりたくない。分かってしまったら、私はここでルージョンちゃんを止められない。
「自分はなんにも持ってない」「誰かに愛されたい」「愛される資格なんかない」「自分がいなくなればきっと全部うまくいく」。
そういう、むき出しで尖ったルージョンの気持ちは、分かるからこそ私の心臓をぐさぐさに刺していく。
私やティントアが「仕方ないね」と諦めて、望むのをやめてしまったものを、ルージョンちゃんはほしくて、ほしくて、今でも一生懸命手を伸ばしていて、だから私もティントアも、ルージョンちゃんのことが愛おしくて堪らないんだろうなと、思う。
だから私はルージョンちゃんの、「ばあちゃんに全部あげたい」という気持ちを否定できない。どうしたらいいのか分からない。
ルージョンちゃんは、私が知らないと思っている。ばあちゃんのこと、ルージョンちゃんの過去のこと、人を喰う法のこと。でも、私は知っている。ここでこの子を行かせてはいけないと知っている。
あの時声を聞いたんだ。あなたが幸せにしてあげてって、たしかに聞いたのに。
私はルージョンちゃんになんにもできない。
「……分かるなら、行かせて」
私は雨でどろどろのぐちゃぐちゃなのに、ルージョンちゃんは美しかった。黒い髪が白い頬に張り付いて、かなしそうな顔で笑うルージョンちゃんはしんどいくらいきれいだった。ああ無理だ、私は引き止められない。私はこの子を引き止められない。行かせたらどうなるか、分かっているのに。分かっているのに私にはなんにもできない。私は「レハト」にはなれない。
無力感に負けて、私はローブを掴む手を、
「離さないで、ユニ!」
飛び込んで来たのは聞き慣れた声だった。階段を駆け上がってきたのだろう、息を切らせて、ティントアはそこに立っていた。
「その手を、離さないで。絶対に離さないで」
言葉に籠る決意が、色を持って目に見えるかと思うレベルの声だった。
向き直ると、ルージョンちゃんは初めて揺らいだような表情をしていた。私の言葉に揺らがないように覚悟を決めていても、ティントアの存在まで心から弾くのは無理だろう。だからルージョンちゃんはいつもティントアから逃げるのだ。ティントアには負けてしまうから。
魔力の気配がした。私を弾こうとする力に必死に抗って、私はルージョンちゃんのローブを握りしめる。
「くそ、離……」
「ルージョンちゃん、あのね、私ルージョンちゃんが本当に本当に行くって言うなら止められないけど、」
ルージョンちゃんが本気で魔術を使ったら、私を吹っ飛ばすなんて簡単だろう。でもルージョンちゃんにはそれができない。一度懐に入れてしまった人にはどこまでも甘い子だから。
「でも、なんで出て行ったのか、ティントアのことどう思ってるのか、話してあげてよ。そういう話をティントアにしないまま出て行っちゃうのは、ずるだよ」
「うるさい…っ!!」
私を吹っ飛ばせずにいるルージョンの腕を、ティントアが取った。私を挟んで二人が向き合う。
ああ。これはたぶん、きっと、『あの雨の日』だ。
ティントアが間に合ってくれた安堵で思わずへたり込みながら、そう思った。
形は違うけど、たぶんこれはそういうことだ。
アネキウス。わたしはなにかを、変えられましたか。